第弐拾九話 残光あそこで見たものを思い起こしたとたん、平常に戻りかけていたクロードの心臓が一瞬、不揃いなリズムを刻む。手術台の鈍く光る表面、薬品の独特な匂い、そして、あのガラスケースのなかにうずくまる物体……。 ――つめたい……おぞましく暗いあの場所……。 あの廃墟が、遠い昔の記憶を呼び覚ます。とうの昔に捨ててきたはずの感情が頭をもたげ、クロードを食いつくそうとする。 彼はよみがえった感情から懸命に自分を切り離す。あの場所から連れ出してくれた人、自分にいつも慈しむような笑顔を向けてくれた人――彼等の記憶にすがりつく。 ・ 彼、そして――セレナ……。 白く端整な顔が脳裏に浮かび、微笑んだ。クロードの体に安堵が柔らかく広がっていく。 ――大丈夫、セレナがいる。あの子がいれば、俺は何も恐れる必要はない……。 彼は目を開け、『名も無い崩れた塔』の11Fのベッドの上に身を起こした。カーテンを引いて外に出ると、丁度いたネビスとスウォームが驚く。 「クロード、大丈夫ナノカ?マダ休ンデイテモ…」 「いや、もう大丈夫だ、黒龍」 クロードはきっぱりといい、踵を返した。ネビスが慌ててあとから追ってくる。 「クロード様…本当にもういいのですか?」 2人の背後でドアが閉じる。クロードはほんの少し、心配そうなネビスに微笑みかけた。 「ああ…すまなかった」 その笑みを見て、ネビスがやっと納得したように頬を緩めた。 「この匂いは……何だ?」 クロードとネビスに代わって、セルフォルスと紅龍、そして祖龍の3人がその廃墟の奥深くに入り込んでいた。 ランプの明かりに照らし出されたものを見たとたん、セルフォルスが喉の奥が詰ったような声を立てた。 通路を歩く間にも漂っていた異臭が、その部屋に入り込んだとたん、セルフォルスの嗅覚に暴力的に襲い掛かる。血と…腐っていく肉の強烈な匂いだ。 手にしていたランプの光が床を舐め、そこがどす黒く染まっているのを見せつける。そして、その上に折り重なるものを。 セルフォルスはしばし、ランプが照らし出したものに凝然と見入った。それはなかば折り重なって倒れている二つの死体だ。 十歳前後の子供が、片目のあった空洞を血溜まりに変え、ほっそりした手足を妙な角度に投げ出して仰向けに倒れている。その足に折り重なるように頭をもたせかけた男は、白衣を血に染め、こちらに虚ろな目を向けている。その顎の下で、ぱっくりと開いた傷口が、二つめの口のように彼等を嘲笑っていた。 セルフォルスはしばらくして、彼ら二人が死したのちも離さずにいたものに気付く。子供の小さな手にはどす黒いものをこびりつかせたメスが、男の手には黒々と光る暗殺用の矢発射器…ボウガンが、それぞれしっかりと握り締められていた。 彼らは部屋のあちこちに目を配りながら、おそるおそる前進を始める。 点いたままのホログラムから放たれる光が、薄く室内を照らしている。部屋のいたるところに死体が転がっていた。大人のものも、子供のものも。腐敗がはじまってはいるが、死んでからまだ数日と経過していないのだろう。大人は研究員らしい白衣と身分証を身に付け、子供たちはお仕着せらしい、スモックに似た簡素な服に身を包んでいる。 外部からの襲撃に遭ったのかとはじめは思ったが、彼らの手のなか、あるいは床に落ちた凶器の存在がそれを否定する。 こわごわ足を踏み出したセルフォルスの足元から金属音が響く。ランプを音のした方へ向けると、床を転がっていく薬ビンが光をはね返したが、ビンを追って壁に投げかけられた光がなにかを照らし出した。 「うわぁぁっ!?」 さすがのセルフォルスも驚いてあとずさり、祖龍は壁際に並んだものに目を向ける。 ひび割れたガラスケースの中に、なにか液体が満たされ、奥に白っぽいものが浮かび上がる。その正体を見極めたとたん、祖龍はこのようなことをした者に激しい憎しみを感じた。 子供――体のいたるところにチューブを繋がれた子供が、ガラスのような目を見ひらき、液体の中を漂っていた。だが人間だけではない。壁を取り巻くように据えられた長いケースの中には、『デスピンサー』や『ファミリア』など様々な種類のモンスターや動物達がずらりと並んでいた。 そのさまはまるで博物館の展示ケースを思わせる。 「これは……一体……どういうことなのでしょう?祖龍様。」 セルフォルスが沈黙に耐えかねたように聞き、祖龍もややうわずった声で答える。 「内乱……トイウコトダロウ…」 周囲に鋭い視線を向けながら、祖龍は続ける。 「…自爆シヨウトシタ形跡ガアルナ…」 奥に見えるドアに手をかけたままの姿勢で、研究員らしき男が一人倒れ伏している。自爆装置を作動させようとしたところで絶命したらしい。 「ですが…なぜ同じ人間同士が、それもこんな子供が…」 セルフォルスはなおも信じられないといった様子で続ける。 殺しあったのだ。彼らは、大人と子供で――。 祖龍自身も信じがたいという思いで、そばにあった少女らしい死体の前にかがみ込む。足を投げ出してデスクにもたれた少女は、ちょっと疲れて座り込んだだけというように見えた。だが、そっとその頬にふれたとたん、彼女の体が前のめりになる。 後頭部にあいた穴、デスク側面にへばりついた脳漿と髪の毛の塊がまざまざと見え、祖龍は思わず顔をそむけた。 「…しかしルーツ様。彼らはいったいここで何をしていたのでしょう?」 紅龍はやはり表情ひとつ変えずに聞く。祖龍はおそらくであるが、一つの可能性を見出す。 「……オソラク、我々ノヨウナ強力ナモンスターニ対抗スルタメニ、戦闘訓練ヲ施サレタ子供ニ、我々モンスターノ遺伝子ヲ打チ込ミンデ対抗デキルヨウニシタノダロウ…」 その返答を聞き、紅龍が呆れ顔で答える。 「…全くもってくだらないな、人間というものは…我々の存在を根本から否定しておいて、このようなものを作り出しているとは…」 そして紅龍は、薄暗い背後に向かって語りかける。 「…そうだろう?そこにいる奴、さきほどからいるのはわかっていた。何が目的だ?」 セルフォルスと祖龍が反射的に振り向き、光に照らされたそこには、『メロウ』のような水色の鈍重そうな鱗に身を包み、『マーブルガゴイル』のような小さめの翼を両肩から生やした少年がこちらを見ていた。 その少年はあきらかな敵意を紅龍たちに向けており、体中のいたるところに返り血と思われるどす黒い染みが広がっていた。おそらく、ここで生き残った最後の生存者なのだろう。 少年はしばらく紅龍たちを見据えた後、ブツブツと低い声で言い放つ。 「出セ…ココカラ…オレタチヲ・……」 そしてその敵意は殺意となり、先頭にいた紅龍に襲い掛かる。 「……ココカラダシヤガレェェェェェェェェェェ!!!!」 紅龍は、『暴かれた納骨堂』のブレイマ戦で使用した『アイオブザビホルダー』の眼差しをその少年に向ける。だが、少年はまったく気にもしない様子で突っ込んでくる。 「何だと…?」 「ゼグラム、下ガレ」 祖龍がすかさず紅龍の前に出、その指先から『ライトビーム』が放たれる。一筋の光は真っ直ぐに少年の頭を貫き、血飛沫をあげる。 「グッ……ウガァァァァァァァ!!!」 だが頭を撃ち抜かれても彼は止まらない。そのまま祖龍にせまると、口の中からさらに鋭い左右の牙『ウィープウィドウ』の牙のようなものが飛びだし、祖龍の右手を切り裂く。 「っ!コイツ…」 だが、がら空きの胴体にはセルフォルスが忍び込み、その首筋に鋭い一太刀を浴びせた。頭と胴体が離れ、力無く少年の体が横たわる。 「…祖龍様!大丈夫ですか!?」 セルフォルスは怪我をした祖龍に駆け寄る。祖龍の右手には鋭い裂傷ができていたが、何も問題はなさそうだ。 「…心配ハイラン、ゴ苦労ダセルフォルス。」 祖龍に問題はないことがわかると、自然にセルフォルスは安堵した表情になる。 「…ルーツ様、早くここから出るとしましょう。まだこんなのが潜んでいるかもしれないですからね」 「ウム…ネビス達モ心配シテイルダロウ」 祖龍とセルフォルスは足早にその部屋から立ち去ろうと歩を早め、紅龍もそれからやや遅れ歩を進める。 だが、床に散らばった何かの資料を数枚拾い、懐に隠した紅龍の姿を、2人は見ていなかった。 ジャンル別一覧
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